かぐら ◆Ccp.OZqu04w2
「笑わないホステス」
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社会人になって2、3年の頃、週末になると夜遊びばかりしていた時期があった。
なかでも多く通ったクラブは、私のすぐ上の先輩に紹介され連れられて行った店で、お気に入りだった。
それは、ちょうど盆前の頃だった。
例のように私は、先輩と連れ立って店へ出向いた。
この店には、事前に客の入り具合を電話でたずねてからテーブルをとってもらうのがパターンだったが、
この日は1軒目で多少酔いがまわっていたせいで、なんとかなるだろうといういい加減なノリで、フラフラと店の自動ドアに招き入れられた。
客やホステスの談笑が耳に入り、薄暗くも華やかな非日常空間が、夏のじめっとした不快な夜気を振り払う。
ボーイが慌てた様子でやって来て、何か一言二言伝えてきた。
人の声がよく聞き取れないほど賑やかなことに落胆しながら、
「混んでますね。やめましょうか、今日は」
と打診したが、このまま帰るという選択肢は先輩の中になかったのか、人差し指を立てて上下させた。
「上行こう、上」
と言うが早いか、入り口すぐの螺旋階段を上っていってしまった。
店は、テナントの2階分占有していて、客も店員もこの階段一つで行き来している。
2階は、テーブル区画がひしめいている1階と違い、グループ同士が離れて落ち着いて過ごせるよう、ゆったりとしたレイアウトになっている。
テーブルの周りに張られた薄いカーテンを引くとさらに隔離され、まるでホステスを独り占めして遊んでいるような感覚になる。
当然、1階より料金がかかる。
高級店でいうところのVIP席とまでいかないが、扱いは似たようなもので、何度も通うような馴染み客しか利用しない。
このため、店内が混んでいても、大抵この2階席はまばらに客がいるだけだった。
引用元: ・【8月18日】百物語本スレ【怪宴】
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先輩がそのまばらな客をチラチラ見ながら、得意げに奥のテーブルまで歩いていった。
小さなシャンデリアが天井から背丈あたりまで垂れ下がって、淡い灯りでテーブルとソファをぼうっと照らしている。
2杯ぐらい飲んで先輩と無駄話をするうちに、顔馴染みのホステスがやって来た。
しばらくあれこれと会話するうちに、ふとフロアの向こうが目に入った。
「階段を上ってすぐのあの部屋、ロッカールームか何か?」
と何気なく訊いた。
「女の子の着るドレスが置かれてます。内装をやり直したときに、あそこへ移したんですって。元々はここにあったそうですよ」
女は今自分たちが座っている区画を、腕を広げて撫でる仕草をしてみせた。
変わった場所に移したものだと思った。
2階フロアを接客用に使うようになってから、奥では支障があるのでそうしたのだろうと思うが、
それにしても入り口側にもっていくことはないだろう。
客がトイレに立ったり、階段を上り下りするためにその部屋の前を絶えず行き来するのだ。
客である私自身、何度かドアが開け放たれているところを通りかかって、中の様子を知っているぐらいなのだ。
「なんだっけなー。Yさんが前、何かちらっと言ってた覚えがあるんですけど」
とその子は、他のテーブルに呼ばれたのか、それだけ言い残して1階へ降りていってしまった。
Yさんというのは自分たちも知っていて、
この店がオープンして以来在籍するという、いわゆる”お局様”だ。
経歴が長いぶん、色々な事情を知っているだろう。
カーテンの隙間から周りをこっそり覗いてみたが、Yさんの姿はない。
(今日は1階の世話で忙しいんだろ。今度会ったら聞いてみるか)
妙に私は、その話が気になって、そんなことを考えながら水割りを少しずつ呑んでいる
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午前1時を回ったぐらいだろうか、
酔ったな、と思う頃合になって、先輩がテーブルにいくらかお金を置いて立ち上がった。
「悪い、今日はもう先に帰るわ。ゆっくりしてってくれよ」
にこにこしながら出て行った。
いつもならふざけ半分で悪態をつくところだが、自分もその日は体調があまりよくなかったのか、億劫になって、会釈しただけで送り出した。
相変わらず店内は忙しいのか、ちっとも女の子を付けてくれない。
今日は1階の指名客にとことん邪魔されているらしい。
先輩がさっきまで座っていた奥のソファに私は移動し、グラスに反射した、少しまぶしい灯りに目を細めた。
あの先輩は、ひとを誘っておいて先に帰ってしまうというのはままあることだったが、
誰もいなくなったこのテーブルが、今日はやけに寂しい。
遠くで聞こえてくる1階の喧騒が、何か別世界の出来事のように思われた。
グラスを何気なく弄っていると、カーテンの向こうに人の足が見える。
履いている靴や、カーテンの向こうに映った人影の大きさから、女性だとわかった。
足は、私がその存在に気づいたのを見計らったように、音もなくゆっくりとテーブルのほうに近付いてきた。
やっと来たのかと、私はため息をついた。
さっきのホステスとは違う人物だというのは雰囲気ですぐに分かったのだが、
首をたれて背を丸めるような格好で現れ、長い黒髪に隠れて顔がよく見えない。
――失礼します。
と、その女は、”喉の奥”で聞き取れないほどの声を出して、ゆらゆらと隣に座り込んだ。
(こんな子、いたかな)
記憶を引き出そうとしたが、今まで店内でこのホステスを見かけたことがない。
新人なんだろうか、と思いながら横目で様子をうかがった。
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「はじめまして、だよね?」
空気が悪くなりそうだと思った私は、彼女の顔をのぞきこんでこちらから話しかけた。
黒髪の隙間に、色白の小さな顔が浮いている。それが、案外、美人だった。
「はい」
と、再び顔を隠すように頭を下げながら、一度頷いただけで黙り込んだ。
うるさい客なら、ここでもう出て行くだろう。
こんな愛想のないホステスをおいているのはろくでもない店に違いないが、
馴染みの店だったこともあって、こういうこともあるだろう、ぐらいにしかそのときは思えなかった。
ところがこのホステスは、
その後何の話題を切り出しても、どう笑いかけても、一言二言答えて頭を動かすだけで、到底会話にならない。
「さっきまで1階にいたのかな? 大変だったでしょ、今夜は」
「…はい、まあ」
(ダメだ、こりゃ。何でこっちが気を遣ってんだよ)
会話どころか、これではどちらが客で店員か分かったものではない。
6,7回繰り返してから、さすがに私も呆れて閉口した。
憮然とタバコをくわえて、火を点けようとした。
テーブルに備えてあった安っぽいライターがカチッと音を立てたとき、
「きゃあ!」
とその女は、椅子ごと後ずさるようにして軽い悲鳴を上げた。
「えっ! ごめん、どうしたの」
驚いて私は咄嗟に火を消して、彼女の顔をうかがった。
大きめの目が、ぎょろりと見開いている。髪の隙間でひときわ存在感のあるそれは、憎悪の塊でも睨むように一点を見つめて動かない。
私がのぞきこんでいることに気づくと、落ち着いたのかまたさっきの姿勢に戻った。
「いえ。すみません」
(薄気味の悪い女だな)
気持ち悪くなって、トイレに立った。
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用を済ませて戻る途中、通りがけのボーイが私の顔に気づいて、申し訳なさそうに声をかけてきた。
「お待たせしてすみません。これから、すぐ女の子お呼びできると思いますんで」
「いや、女の子ならさっきついてくれたよ? たぶん新人なんだろうけど」
ほら、とフロアのほうに足を踏み入れながら、奥のテーブルを指差した。
カーテンの向こうに、人影がひとつ見える。
おかしいな、と呟いて、ボーイは私に続いてテーブルに駆け寄った。
人物を確認しようと側面のカーテンをゆっくり開いたとき、私とボーイは信じられないものを見た。
というより、何も見なかった。
確かにそこにあるはずの、人影の主は、忽然と姿を消している。
テーブルの上には、見覚えのないホステスの名刺が置かれている。
数日経って、盆休みの直前、私はひとりで再びその店を訪れた。
結局あの女のことが気になって、名刺を持ち帰ってしまっていた。
べつに、もう1度会いたいわけでも、正体を知りたいわけでもない。
ただ、この非日常空間で起こった出来事が、私自身の現実として起こったものだと、どこかで確認したかったのだと思う。
その日、いつものように2、3時間遊んでいると、長く勤めているYというホステスが偶然やって来た。
顔を合わせたのは久しぶりで、素直に再会を喜んだ。
「そういえば、こっそり聞いちゃったんだけど。何か変なことあったんだって?」
女は、不意に切り出してきた。
なるほど、あの黒いドレスの女の件を、ボーイにでも聞いて知ったのだろう。
やけに神妙な表情で、小声で会話しだした。
私はふと思い出して、ポケットから紙切れを取り出した。
「この名刺が置かれてたんだけど…」
あの女が席に置いていった紙片を、彼女に差し出した。
Yさんは、ゆっくり手のひらで受け取って、両手の指で持ち直し、まじまじと見つめた。
そうやって、ずいぶん長いこと眺めていた。
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「この子に、会ったの?」
私は無言で2、3度頷いた。そして、およその背格好や覚えている限りの風貌を伝えた。
彼女は、名刺を手にとったまま、次第に肩を震わせる。目に、涙が滲んでいた。
心のどこかで、こういう反応を予想していた自分が、不思議だった。
「あの子、まだここにいたんだね」
彼女は、形が崩れるほどに名刺を強く掴んだまま、泣いている。
このYさんは、その後、私に事情を語ってくれた。もちろん、顛末のすべてではないだろうが。
店がテナントを借りてオープンし、ほどもない頃、建物が半焼する火事があったという。
例の名刺の持ち主であるホステスは、Yさんと同じ時期に入店した女性で、この火事に巻き込まれた。
不幸中の幸いで客が少なく非難が早かったため、他に怪我人は出なかった。
ところが、このホステスだけ、2階の奥の衣裳部屋にいて逃げ遅れ、熱のために歪んだドアに閉じ込められた。
ここで、煙を吸いすぎて、ただ一人の犠牲者として亡くなったそうだ。
その日、私はそれからろくに会話もせずに、店を出てきた。
ただ、名刺だけは、Yさんに渡して預かってもらっている。
今現在、この出来事から何年も経過し、この店が場所を変えてリニューアルしてからというもの徐々に疎遠になり、
足を向けることもなくなった。
元の店舗のテナントには、同業の別の店が入っているのだと、先輩が最近教えてくれた。
あの晩私は、彼女が息絶えたであろう場所のすぐそばで、彼女に偶然出会ったのだと思う。
場所を配慮され改装された新しい衣裳部屋はあっても、自分が最後に見た景色を離れられないのだろう。
(生気はなかったけど、目元の涼しい人だった。本当は優しい子だったに違いない)
毎年夏になると、妙にそんなことばかりが思い出される。
あの笑わないホステスは、客の点ける煙草の火に怯えながら、
今でも誰かを接客しているのだろうか。
【了】
かぐら ◆Ccp.OZqu04w2さん、ありがとうございました
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